【投資哲学】なぜ手法を公開しても大丈夫なのか?

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忙しい人のための3行まとめ

  • 株式投資の手法を公開しても真似されないので問題ない
  • 株式投資の手法は不動産投資などと同様に属人的であり他人には再現不可能
  • 投資は不可逆変換で銘柄選定ルールや売買結果を見ても真のノウハウを知ることはできない

※本ブログは私の投資結果および研究成果を記録するものであり、特定の投資商品や銘柄を推奨するものではありません。

はじめに

【研究ノート】や【初心者向けの記事】に収まらない投資そのものに対する考え方をこの【投資哲学】というカテゴリで投稿していくことにします。

私のブログでは普段から自分の投資手法や考え方をかなり踏み込んで公開しています。

それを見て、
「そこまで書いてしまって大丈夫なのか?」
「手法、ましてや銘柄まで公開したら、真似されて不利にならないか?」
と心配される方もいるかもしれません。

確かに投資の世界では
「勝っている人ほど手法を隠すものだ」
というイメージが強くあります。

それにもかかわらずなぜ私は平然と手法を公開しているのか。この記事ではその点について私自身の考えを整理していこうと思います。

大丈夫です

結論から言うと、投資手法を公開しても大きな問題はありません。

少なくとも、
「公開した瞬間に誰かに真似されて、自分の成績が悪化する」
といった事態は、まず起こりません。

これは精神論ではなく投資という行為の構造そのものに理由があります。

真似できません、そして真似しようとして損します

世の中には投資に関するルールや手法が有料無料問わず数多く公開されています。

しかし、それらのルールはすべて過去に対して成立していた話です。過去の相場を振り返り
あのときはこう判断した
この条件でうまくいった
という形で言語化されています。

問題はそれをそのまま未来に適用しようとしても実際には再現できないという点です。相場の動きは常に変化していますので、過去と全く同じ状況が未来にもう一度現れることはありません。そのため他者の投資ルールに書かれていることを忠実に真似しようとしても「今、何をすべきか」という判断は結局どこにも書かれていません

それでも無理に真似をしようとすると過去の条件に引きずられた判断を繰り返すことになります。その結果、現実の流れと噛み合わない無駄な売買を重ねてかえって損をしてしまうケースも少なくありません。

つまり、投資手法は公開されていてもそれをそのままコピーして使うことはできません。そして無理に真似しようとすること自体がリスクになり得る、というのが現実です。

優れた投資家は他人の手法から砂の一粒を学ぶ

仮に「他人の投資手法は絶対に真似できない」という前提が正しいのだとしたら、他人の手法を学ぶことには全く意味がないのか、という疑問が出てきます。しかしそれは明らかに違います。

他人の投資手法を学ぶことは、むしろ非常に勉強になります。ただし、その目的は手法をそのままコピーすることではありません。

重要なのはその投資家が
「何に着目し、何を基準に考え、どのような判断をしているのか」
という構成要素やエッセンスを理解することです。

優れた投資家は他の成功している投資家の話を聞いたとき表面に書かれたルールを見るのではなく
「あ、この人はここを見ているのか」
「この判断の軸はこうなっているのか」
といった部分を読み取ろうとします。

そしてそうした細かなエッセンスを一度噛み砕き、自分の思考体系の中に取り込み、自分なりに組み立て直していきます。

この意味で他人の投資手法を学ぶことは、コピーのためではなく自分の投資を鍛えるために必要なプロセスだと言えます。

多くの投資家が手法を公開しない理由

それでも株式投資の世界では手法を積極的に公開する人は決して多くありません。そこには、いくつかの理由があります。

1.真似されると思っている

株式投資という行為は冷静に見れば、非常に制限された行動しか取れません。東証に上場している限られた銘柄の中から「買うか、売るか、何もしないか」を選ぶだけです。このため株式投資は一見すると「書いてある通りにやれば、誰でも同じ結果が出る」思われがちです。

その結果、手法を公開してしまうと全く同じことを他の人にもやられてしまい、自分だけが持っていた優位性が失われる、と多くの人が信じています。

だからこそ、
「儲かっている投資家ほど手法を公開しない」
という考え方が生まれます。コピーされてしまえば自分の利益がなくなってしまう、そう考えるのは合理的でしょう。

しかし実際の投資はそんな単純なものではありません。株式投資は選択肢が限られているように見えて、その裏側にある判断や思考は決して共通化できるものではありません

2.クリックするのが投資だと思われている

現在の株式投資は、ほぼすべてオンラインの証券会社を通じて行われています。

取引の最終段階ではウェブあるいはアプリの画面上で「銘柄を選び」次に「買い/売り」をクリックするだけです。実際に人間が行う行為だけを切り取って見ると、投資とはこのクリックという一つの動作に集約されているようにも見えます

そのため投資とは
「銘柄を選び、買うか売るかを決めること」
だと誤解されがちです。そのため投資法を公開する=お金が儲かるクリックの仕方を教える=自分のお金を他人に配ることと同じ、という風に感じられてしまいます。

しかしこれは投資という氷山の一角、表面に現れている一部分にすぎません。

実際の投資は銘柄を選ぶよりもさらに前の段階、いわば氷山の海面下の部分に本質があります。市場をどのように把握しているのか。どのようなスタンスで資金の流れや政治・経済、人々の行動を解釈しているのか。他の投資家が何を考え、どのように動いているのか。そうした世の中全体や市場参加者の動きをどう捉えるか、という思考の積み重ねが先にあり、その結果として銘柄の選択や売買の判断が生まれます。

にもかかわらず、いまだに「どの銘柄を選んだか」「目標株価はいくらか」といった表面に現れた結果だけが投資そのものだと捉えられがちです。クリックは投資の本体ではありません。それは長い思考プロセスの末に現れる最後の出口に過ぎないのです。

株式投資がマウスクリックによるお金儲けではなく、明確に労働であることはこちらの初心者向けの記事でも述べています。

3.実は本人も分かっていない

もう一つ、投資家が手法を公開しない理由として、
そもそも本人自身が自分のやっていることを正確に理解していない
というケースがあります。

本当に勝っている投資家であっても、いざ自分の手法を他人に説明しようとすると
「自分が何を基準に判断していたのか」
「なぜその銘柄を選んだのか」
を順序立てて論理的に説明できない、ということは珍しくありません。

もちろん実際には何らかの基準や判断を用いて銘柄を選び、その結果として利益を出しているわけですが、それを言語化できるかどうかは別問題です。

理由としては
・一貫したルールに基づいていない
・感覚的な判断が中心で、言葉に落とし込めない
・そもそも言語化能力が追いついていない
といった場合もあります。

さらに言えば、単純に運が良かっただけ、いわば丁半博打のような取引にたまたま勝っただけ、というケースすら存在します。この場合、本人は「勝っている」という結果だけを手にしていますが、そこに再現可能なルールは存在しません。当然、説明できる手法もありません。

こうした理由から勝っている投資家であっても、手法を公開しようと思ってもそもそも公開できない、という状況が生まれることがあります。

不動産投資の場合

実は私は、株式投資とは別に10年以上にわたって現物の不動産投資も行っています。つまり大家さんです。

その経験を通じて感じているのが、投資手法の公開という点において不動産投資と株式投資は極めて正反対の性質を持っているということです。

この違いは、
「手法を公開しても大丈夫なのか?」
というテーマを考えるうえで非常に分かりやすい題材になります。

「不動産おじさん」がいっぱいいる

不動産投資家の中には、自分の投資手法を本として出版したりブログやSNSで日常的に発信したり、あるいは「楽待」などの不動産投資サイトに登録し、投資家コラムを継続的に書いている人も少なくありません。

株式投資と比べると、不動産投資の世界では自分の手法を公開すること自体が一つのステータスとして扱われているように感じます。書籍の出版がそのゴールです。この点は、手法を公開すると不利になるのではないか、と考えがちな株式投資の世界とはかなり対照的です。

また理由も概ね想像できますが、こうした形で自分の不動産投資の手法を積極的に語るのは、なぜか中高齢の男性ばかりだという印象があります。セミナーや実務の場で実際に出会う男女比/年齢比と大きな乖離があります。そのため私は半ば冗談も込めてこうした人たちのことを「不動産おじさん」と呼んでいます。

聞いてもいないのに「俺の投資ルール」を語りだす

例えばYahoo!知恵袋のような質問サイトで、株式投資について
「こういうルールで銘柄を買おうと思うのですが、儲かると思いますか?」
といった内容を書いたとします。

すると、株式投資家から返ってくる回答はほぼ決まり切っています。
「あなたがそう思うなら、そうすればいいんじゃないですか。」
良いとも悪いとも言わない。自分はどうしているのかも語らない。質問に対して判断そのものを返さないのが、株式投資の世界では一般的です。

一方で不動産投資において楽待などで同じような質問をすると状況は一変します。
「この条件の物件を買おうと思うのですが、儲かると思いますか?」
と質問すると今度は次々と回答がつきます。質問の仕方も悪いと思いますが、返ってくるのはこういう回答ばかりです。
「私の投資基準ではそんな物件は絶対に買いません。なぜなら、私の基準はこうで、こうで……。実際に私は、何年前にどこそこで何千万の物件をこういう条件で買って……」
一見するとアドバイスのようでありながら中身をよく見ると、ほとんどが自分の成功体験の披露、要するに自慢話になっています。

この振る舞いの違いは両者の投資に対する考え方の違いをよく表しているように思います。

不動産投資は真似ができないと思われてもいる

ではなぜ株式投資と不動産投資でここまで文化の違いが生まれるのでしょうか。その大きな理由の一つが、明らかな再現性の低さです。実際「再現性ある手法」と本人が主張している手法であっても、不動産投資は他人決して真似できません

不動産の場合、投資家ごとに
・居住地
・資産背景
・融資を受けられる条件
・法令や建築・設備などの投資家固有の技能
・使える時間
・人的ネットワーク
といった前提条件が大きく異なります。

そのため、たとえ「再現性ある不動産投資プラン」の具体的な手法を聞いたとしても「それはその人だからできたことだ」と自然に理解されます。他人がマネできるとは少なくともそれを書いている人は思っていません。これから不動産投資をやろうと思っている人は「私にもできるかも?!」と勘違いしてしまうかもしれませんが、これらは結局のところ、不動産投資をやったことが無い、あるいはやる能力が無い人に夢を与えるためのファンタジーにすぎません。不動産投資の書籍に「底辺派遣社員の私が~」みたいな枕詞が付きがちなのはこのためです。

実際には本人以外に再現性が無い手法を皆が嬉々として「必勝法」として公開している。矛盾がありますが、それが「大家さん業界」の実態です。こうした前提が勝っている投資家の間で暗黙的に共有されているからこそ、不動産投資の世界では皆が安心して自分のやり方を公開していると考えられます。

実は株と不動産は同じ

ここまで、不動産投資の世界では手法が比較的オープンに語られている一方で、株式投資では手法がなかなか公開されないという対比を見てきました。しかし実はこの二つの投資は本質的にはまったく同じ構造を持っています。

株式投資においても投資の判断は極めて属人的なものです。他人の投資手法を聞いたとして、その手法を語った本人にとっては100%の再現性があったとしても、それを聞いた第三者が同じように再現できるとは限りません。

なぜならその判断は、その人固有の能力や条件などの前提の上に成り立っているからです。この点は不動産投資とまったく同じです。「その人だからできた」という要素が投資の結果に強く影響しています。

つまり株式投資も不動産投資も他人の手法を聞いたからといって、そのまま再現できるようなものではない、という点で本質的に共通しているのです。

その人にしかできない【再現性】

不動産投資も株式投資も一般には「再現性がある投資」が重要だと言われます。そして実際、再現性は存在します。ただし、その再現性はあくまで「それをやった本人にとっての再現性」にすぎません。

不動産投資であればこの点は比較的分かりやすいと思います。属人的要素が容易に可視化され、同じ投資法を聞いても同じ結果にならないと、すぐに理解されます。

実は株式投資においても状況はまったく同じです。その人が持っている業界知識、市場を観察する能力、データを分析する力、投入できる資金量、そして投資に使える時間。これらの前提条件は人によって大きく異なります

例えば、日中に自由な時間が取れる人と仕事で忙しい人とでは選べる投資スタンスはまったく変わります。デイトレードができるかどうかは、その最も分かりやすい例でしょう。こうした背景が異なる以上、たとえ同じ投資手法を聞いたとしてもそれをそのまま再現できる人は存在しません。

私がやっている統計的な手法もよい例です。統計の計算方法や数式あるいはその背景にある理論はWikipediaを読めば全て書いてあります。数学ですので再現性は100%、誰がやっても同じ計算結果になります。しかし、その数式を正しく読み解き、実際にExcelなどで手を動かして計算を再現できる人は、現実にはほとんどいません
「私は数学のこの理論を元にこういう計算をして市場を判断しています」
と説明したとしてもそれをそのまま実行できる人はごく一部です。ましてやそこから実際に銘柄判断して本当に売買する人となると皆無でしょう。

このように、投資手法というものは表面上は共有できたとしても、実際に使えるのはその人本人だけというケースがほとんどです。

結果として、株式投資の手法を人から聞いたとしてもそれがそのまま再現できることはありません。

株式投資は不可逆変換である

株式投資は一見すると非常に単純な行為に見えます。最終的には、銘柄を選び「買い」か「売り」をクリックするだけだからです。

そのため
「この銘柄をこの基準で選びます」
といった投資法を見ると誰でも同じことが再現できるかのように思われがちです。

しかし、実際の投資法の核はその銘柄選定ルールそのものではありません。本当に重要なのは、そのルールを作るに至った思考や思想の部分です。市場をどう捉えているのか、何を重要だと考え、何をノイズだと切り捨てているのか、そうした思考や思想こそが投資判断の源泉になっています。

ところが、この思考や思想は書籍やネットに書かれることがありません。というより多くの場合、それは言語化が困難です。その人の脳内で形成された経験や価値観の集合体そのものだからです。

この構造は不動産投資とまったく同じです。不動産投資においても表に見えている物件選定や条件設定は思考や思想を何度も変換した結果にすぎません。

株式投資も同様に、思考・思想 → 判断基準 → 銘柄選定 → 売買、という変換が何段階にもわたって行われています。そしてこの変換は不可逆です。

思想から銘柄を選ぶことはできますが、どの銘柄を買ったか、どんな売買をしたか、という結果をいくら観察してもそこから元の思考や思想に逆戻りすることはできません

つまり、投資手法として最後に現れた出力だけを学んだところでその上流にある本質的な部分には到達できない、ということです。

結局のところ、投資で最も重要な思考や思想は公開されていないかあるいは本人ですら明確に自覚していません。だからこそ、他人の投資手法をいくら学んだとしてもその人の投資を未来にわたって完全に再現することはできません。

まとめ

本記事では「投資手法を公開しても大丈夫なのか?」という問いについて、株式投資と不動産投資を対比しながら考えてきました。

一見すると株式投資は限られた銘柄の中から買うか売るかを選ぶだけの行為に見えます。そのため手法を公開すれば誰かに真似され、自分の優位性が失われてしまうのではないか、と不安に思われがちです。

しかし実際には投資手法は過去の結果を説明しているにすぎず、それをそのまま未来に適用することはできません。

株式投資における再現性とは「誰でも使える再現性」ではなくその人自身にしか成立しない再現性です。例えば不動産投資の再現性が本人固有であることと同様であり、知識、経験、資金、時間、そして市場の捉え方が違えば同じ手法を聞いても結果は再現できません。

だからこそ、投資手法を公開したとしてもそれがそのまま真似されることはなく、優位性が失われることもありません。

投資の本質は投資ルールや売買注文の隠れた内側にあります

次回予告

今回は手法を公開することに直接的なデメリットが無いことを示しましたが、だからといって積極的に手法を公開する理由の説明にはなっていません。次回は私がわざわざサーバ代を払ってまで手法を公開している理由を説明します。

※本ブログは私の投資結果および研究成果を記録するものであり、特定の投資商品や銘柄を推奨するものではありません。

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